五木寛之

「落地生根 落葉帰根」という文句のおもしろさは、「根に帰る」という最後の部分ではあるまいか。人は去ってゆくのではない。還るのだ。どこへ? 生命力の流れの根元へ、である。みずからの出発点である非自己へ、命の水源へ還るのだと考えたい。自己のふるさとこそ非自己ではないのか。老化を自己が崩壊してゆく過程、ととらえる見方もあるだろう。しかし、免疫の混乱を自己の秩序の崩壊と考えるより、非自己へ帰るための解体作業と受けとめる立場はないものだろうか。
人はつまるところ「大河の一滴」である。大きな河の流れに身をまかせて、おのずと海へくだってゆくのだ。その流れの上で、ピチピチ跳びはねたり、岩にぶつかったり、深い淵によどんだり、流れに逆らって渦を巻いたり、いろんなことをするが、結局は一滴の水として海に還る。死ぬということは、つまりは大きな生命の海に還ってゆくことだと考えたい。なつかしい海の懐に抱かれてしばしまどろみ、やがて太陽の熱と光をうけて蒸発する。そして雲となり、霧となり、雨となって、ふたたび空から地上へ降りそそぐ。

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