空の雲が厚くたれ下ってきて、雨粒が一滴二滴と頬や頭に落ち始めるときの、一種恍惚とでもいってよい安堵感を、何にたとえようか。まさしく天の慈雨である。山々の草木とともにうちふるえるような感じで、公然と農作業を休んでよい。誰に気がねもなく集まってバカ話をしようが、寝ころんでいようが、男たちは昼間から焼酎を飲み、村全体が祝祭気分で山童や、がらっぱ(河童)の話などが賑わい、新しい民話も生まれる。つらい労働を体験しているばばさまたちも、それに加わった。
私の育った水俣川の河口地帯では、女が農事にたずさわらないということには、周囲の目が冷ややかだった。
最後の人 詩人 高群逸枝
by 石牟礼道子
あとがき