堀越善太郎

さび
美的理念。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。単なる「さびしさ」や「古さ」ではなく、さびしく静かなものが、いっそう静まり、古くなったものが、さらに枯れ、そのなかに、かすかで奥深いもの、豊かで広がりのあるもの、あるいはまた華麗なものが現れてくる、そうした深い情趣を含んだ閑寂枯淡の美が「さび」である。老いて枯れたものと、豊かで華麗なものは、相反する要素であるが、それらが一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。「さび」はそのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とも把握しうる。
中世では仏教思想の影響から、表面的な豊かさより、精神的、内面的な充実のなかに、人生の真実を求めようとする傾向が強まった。芸術においても、奥行のある美しさが追究されるようになったが、藤原俊成の「幽玄」や、兼好の『徒然草』、世阿弥の能、心敬の連歌、さらには武野紹鴎や千利休の茶も、そうした精神の具現化とみなされ、「さび」の美も、これらを背景に成立してきた。俊成は歌合の判詞のなかで「姿さびて」と、「さび」を賛辞として用いているが、これは「さび」を美的なものとして扱った古い例である。心敬は「ひえ」「やせ」「からび」とともに、「さび」を文芸上の最高の境地とし「いはぬ所に心をかけ、ひえ、さびたる方を悟り知」(『ささめごと』)ることが、和歌同様連歌においても必要だと説いた。こうした伝統を踏まえ、従来「さびて」のように動詞として用いられていた語を、「さび」と名詞化し、よりはっきりした形でとらえたのが松尾芭蕉である。芭蕉俳諧において「さび」は、「しほり」「ほそみ」とともに重視され、以来、それは美的理念として、日本人の一般的な生活感情の領域にまで影響を与え、今日に至っている。芭蕉自身「さび」にはほとんど言及せず、門弟間でも師の「さび」に対する見解は分かれていたが、向井去来の『去来抄』には、「さびは句の色なり、閑寂なる句をいふにあらず」とあり、さらに去来の「花守や白きかしらをつき合せ」の句が、芭蕉によって「さび色よくあらはれ」と賞賛された話が載せられている。素材の閑寂さよりも、一個の詩人の心の働きとして「内に根ざして外にあらはるる」(去来著『答許子問難弁』)ことを重んじたところに、芭蕉の「さび」の本質があったと考えられる。

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  1. shinichi Post author

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